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新元号「令和」発祥の都 太宰府市

ページID:0002764 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

新元号「令和」について

平成31年4月1日、日本政府は新たな元号を「令和(れいわ)」と決定しました。

天皇陛下即位に合わせ5月1日から使用される「令和」は、645年の「大化」から数えて248番目の元号となります。

「令和」の典拠は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集『万葉集』に収められた「梅花の歌三十二首 序文」にある、

初春の令月にして(しょしゅんのれいげつにして)、気淑く風和ぎ(きよくかぜやわらぎ)、梅は鏡前の粉を披き(うめはきょうぜんのこをひらき)、蘭は珮後の香を薫ず(らんは はいごのこうをくんず)。

の文言を引用したもので、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められた元号となっています。

太宰府市 コメント

4月1日、新元号が「令和」に決まりました。その典拠は、約1300年前に、ここ太宰府の地で行われた「梅花の宴(ばいかのえん)」を記した、『万葉集』「梅花の歌」三十二首の序文にあることが発表されたところであります。

新たな元号と太宰府市が大きなご縁を持てました事は、新しい御代の始まりの慶びに加えまして、本市にとって大変光栄なことであり、地元市民をあげて喜んでおります。

この「梅花の宴」を主催したのは、万葉集の選者である大伴家持の父であり、奈良時代初頭の政治家としても有名な大伴旅人です。氏は、神亀4(727)年頃、大宰府の長官(大宰帥・だざいのそち)として赴任し、天平2(730)年に大納言に昇進し都に戻りますが、同年正月13日に、大宰府の役所が管轄した西海道(さいかいどう・九州)の官人たちを、自らが住まう邸宅に招き、この宴を開きました。

このとき詠まれた32首のうち11首は、市内各地に歌碑を設けております。なお、旅人の邸宅についてですが、旅人本人が詠んだ別の和歌には、丘陵とともに邸宅があったと推測されており、これに基づくいくつかの説があるところです。

太宰府の地には7世紀後半から12世紀前半にかけて地方最大の役所「大宰府」が置かれ、長らく我が国の政治、外交、防衛の要衝でありました。こうした本市の歴史文化については「古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点」として、文化庁より日本遺産の認定も受けております。

今後もこうした誇りうる歴史や文化を活かし、本市が多くの国内外の皆様から愛される地であり続けるため、より一層の努力を重ねて参る所存であります。

結びに改めまして、新しい御代が、「令月」のように清新で「和(やわ)らぐ」時代となりますことを切に祈念致します。

平成31年4月1日
太宰府市長 楠田 大蔵

新元号「令和」発祥の都 太宰府市に関する詳細資料

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