ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 ホーム > 分類でさがす > 市政情報 > 市の概要 > 太宰府まほろば絵巻 > 太宰府まほろば絵巻苅萱(かるかや)の関

本文

太宰府まほろば絵巻苅萱(かるかや)の関

ページID:0001915 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

昔、太宰府の入口には関所がありました。
その一つに苅萱(かるかや)の関(せき)があります。
現在の関谷の交差点付近です。
その関所に、加藤左衛門尉繁昌(かとうさえもんのじょうしげまさ)という、武人がいました。
繁昌(しげまさ)は、弓の達人で立派な人物でしたが、40歳をすぎたというのに子宝に恵まれませんでした。
どうしても子どものほしい繁昌(しげまさ)は香椎宮(かしいぐう)へ願をかけに行きました。
その満願の日の事でした。
繁昌(しげまさ)の枕元に神があらわれ、「石堂川(いしどうがわ)のほとりに、玉のような石がある。これをもちかえり妻に与えるのです。そうすれば男の子が生まれるであろう。」と告げて消えました。
急いで繁昌(しげまさ)がお告げの場所に行ってみると、何とお地蔵様の左手に光り輝く丸い石がありました。
繁昌(しげまさ)は大事に大事にその石を太宰府の家に持ち帰り、妻に渡しました。
翌年の正月二十四日に男の子が生まれました。この時、家の中には、何とも知れぬよい香りがしたといいます。
男の子は石を授かった地名にちなんで石堂丸(いしどうまる)と名付けられました。この石堂丸はのちに父のあとを継いで苅萱(かるかや)の関守(せきしゅ)をつとめました。

太宰府まほろば絵巻トップに戻る