ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 ホーム > 太宰府市 文化財情報 > 文化財課のしごと > お知らせ > 児嶋家住宅が新たに国の登録有形文化財になります

本文

児嶋家住宅が新たに国の登録有形文化財になります

ページID:0050096 更新日:2026年8月28日更新 印刷ページ表示

 7月17日(金曜日)、国の文化審議会は、児嶋家住宅(吉松)を登録有形文化財(建造物)とするよう文部科学大臣に対し答申を行いました。今後、官報告示を経て、正式に国登録有形文化財となります。

 児嶋家は江戸時代に吉松村の庄屋を務めた農家で、明治時代以降も水城村村長を輩出するなど、村の代表的存在でした。今回、主屋・門及び塀(明治後期築)、米蔵(明治26年築)の3件が登録される見込みです。市内では2例目の国登録文化財となります。主屋・門及び塀は明治期の農家住宅を現在まで伝える事例として、米蔵は市内における数少ない明治期の農家建築の一つとして貴重なものとして評価されました。
 ※現地見学はできません

児嶋家住宅主屋

読み/こじまけじゅうたくおもや
所在/吉松三丁目
所蔵者/個人
構造/木造平屋一部二階建、瓦葺
広さ/建築面積217平方メートル
建築年/明治後期
​概説/児嶋家住宅主屋は、明治37 年(1907) に吉松八幡宮宝満宮( 以下、宝満宮) を建設した大工が神社建設前に建てたと伝わります。建築年代は、口伝・建物の形式・洋釘の使用・主屋と一体で構成される門の肘木絵様から、明治後期と推測されます。昭和35 年頃・昭和40 年頃の改修・増築を経て、昭和60 年(1985) に屋根の全面葺替えが行われ現在に至ります。建築から100 年以上が経過しますが、水回り以外の箇所はほとんどが当時の形を保ち、所有者による定期的な維持管理によって良好な状態が維持されています。17.5 畳の座敷に施された格式高い意匠など、多くの来訪者を意識した設えが随所に見られます。宅地化が進む太宰府市内において、明治期の農家住宅の様子を現在まで伝える数少ない事例として貴重です。

児嶋家住宅主屋外観 児嶋家住宅主屋_座敷

児嶋家住宅米蔵

読み/こじまけじゅうたくこめぐら
所在/吉松三丁目
所蔵者/個人
構造/土蔵造一部二階建、瓦葺
広さ/建築面積65平方メートル
建築年/明治26年(1893)
​概説/児嶋家住宅米蔵は、主屋の西側に立つ漆喰仕上げの土蔵です。かつて「新倉」と呼ばれ千俵の米が保存できたと伝わります。蔵内2 階にある棟木墨書に「明治廿六歳四月新造 棟梁児嶋徳兵衛」とあることから、建築年と建築者が明らかです。児嶋家に伝わる「蔵普請入費帳」によると、土台となる石垣を請け負ったのは白水徳次郎、砂利は松嶋和作、大工は児嶋徳兵衛です。このうち、白水徳次郎は衣掛天満宮(太宰府市国分)の昭和3年(1928)の注連柱に「五十八歳 白水徳次郎」と刻まれており、国分の石工だったことが分かります。太宰府市内における現存する数少ない明治期の農家建築の一つとして貴重です。

児嶋家住宅米蔵外観 児嶋家住宅米蔵_墨書

児嶋家住宅門及び塀

読み/こじまけじゅうたくもんおよびへい
所在/吉松三丁目
所蔵者/個人
構造/門 木造、瓦葺、間口1月5日m
   塀 木造、瓦葺、総延長17m
建築年/明治後期
​概説/児嶋家住宅門は庭園入口に開く門で、主屋玄関前に西面して建ちます。門の両脇には桟瓦葺の塀が接続し、東へ折れ主庭を囲むように廻り総延長17.442 mとなります。切石基礎は主屋と同じと思われ、門の肘木絵様の彫りがやや深いことなどより、主屋と同じ明治後期の建築と考えられます。

児嶋家住宅門及び塀外観 児嶋家住宅門塀 絵様

登録有形文化財とは

 この登録制度は、近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくために作られたものです。届出制と指導・助言等を基本とする緩やかな保護措置を取るもので、従来の指定制度(重要なものを厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補うものです。

有形文化財(建造物)(文化庁ホームページ)<外部リンク>

​関連ページ

太宰府市内の指定・登録文化財一覧

皆さまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が充分掲載されてましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現は分りやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?

くらし・行政サイト

令和発祥の都サイト

観光サイト

太宰府市 文化ふれあい館<外部リンク>

大宰府展示館<外部リンク>

太宰府市公文書館

九州歴史資料館<外部リンク>

日本遺産 太宰府