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文化遺産水城1丁目

ページID:0002885 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

老松神社(おいまつじんじゃ)

登録番号 E0026
名称 老松神社
所在場所 水城1丁目(老松神社)
文化遺産情報 太宰府市の旧水城村の産神として祀られている神社。老松神社は天満宮の神木とされていた老松が神格化されたもので、天満天神信仰の広がりと共に各地に勧請された。祭神は菅原道真。例祭は近世には9月15日(現在は10月16日)に行われ、那珂郡平尾村八幡宮の梅崎氏が奉祀を行っていた。

老松神社画像と位置図

水城の渡し跡

登録番号 E0027
名称 水城の渡し跡
所在場所 水城1丁目(老松神社)
文化遺産情報 地元の伝承では、菅原道真が船便を利用して御笠川を上り、水城老松宮の辺りの渡し場で上陸し、国分の衣挂天神の辺りを経て苅萱の関を通って宰府に向かったと言われている。現在、老松神社境内西側の御笠川岸に渡し場の跡と伝えられる7段の石段が残っている。

水城の渡し跡画像と位置図

水城橋(みずきばし)

登録番号 E0029
名称 水城橋(みずきばし)
所在場所 水城1丁目
文化遺産情報 水城1丁目を流れる御笠川に架かる橋で、車道とは別に歩道橋が設けられている。太宰府市水城地区と大野城市下大利地区を結んでおり、すぐ近くには水城の老松神社や水城の渡し跡がある。

水城橋画像と位置図

史蹟水城跡境界(5)

登録番号 E0035
名称 史蹟水城跡境界(5)
所在場所 水城1丁目(水城跡北側西)
文化遺産情報 史跡である水城跡と周辺の境界を示すためのもので、水城跡が史跡指定された大正10年(1921)に設けられたものと思われる。水城跡は大正10年3月3日に内務省によって史跡指定され、その後次々に指定範囲を広げ平成15年(2003)までに10回の追加指定を受けている。

史蹟水城跡境界画像と位置図

水城跡(東門側)

登録番号 E0036
名称 水城跡(東門側)
所在場所 水城1丁目~国分1丁目
文化遺産情報 水城は唐・新羅の来襲に備えて、天智天皇3年(664)に築造された土塁。日本書紀に記録があり、記録に残る日本最初の城である。水城の東門側には門跡・礎石・木樋などが確認されている。現在は、春には桜、秋にはコスモスが咲き、市民の憩いの場となっている。

水城跡(東門側)画像と位置図

水城跡石碑及び関連施設

登録番号 E0037
名称 水城跡石碑及び関連施設
所在場所 水城1丁目(水城跡 県道112号線沿)
文化遺産情報 水城跡東門側を見渡せる位置に、平成20年(2008)2月に完成した特別史跡水城跡第2広場。「特別史跡水城跡」石碑と説明板2基が設置され、駐車場・御手洗いが整備され見学者への便宜が図られている。

水城跡石碑及び関連施設画像と位置図

賽の神・小夜神(さいのかみ)

令和4年度に解体・撤去されています

登録番号 E0041
名称 賽の神・小夜神(さいのかみ)
所在場所 水城1丁目(水城跡北側東)
文化遺産情報 水城堤の根本に祠があり、「賽の神」として祀られている。伝承では、江戸時代にこの地で斬られた武士の娘を弔うため、里人がこの地に小さな堂を建てて霊を祀ったと伝えられている。現在祠内には男性のシンボルが祀ってあり、参拝者も多く、性病が治るという信仰もある。

賽の神・小夜神画像と位置図

御笠川のゴム製井堰

登録番号 E0122
名称 御笠川のゴム製井堰
所在場所 水城1丁目(御笠川)
文化遺産情報 太宰府市を流れる御笠川の下流、平田川との合流点付近に位置する井堰。御笠川の河川整備に伴い、ゴム製の井堰が設けられ水位調整が行われている。

御笠川のゴム製井堰画像と位置図

老松神社のほんげんきょう

登録番号 E0169
名称 老松神社のほんげんきょう
所在場所 水城1丁目
文化遺産情報 ほんげんぎょうの前日に櫓を組み上げる。櫓の大きさは円錐形、周囲4m、高さ6m程の孟宗竹で組まれる。内部に竹や笹、正月のお飾りを入れて午前9時から火入れし、燃え上がると「パーン・パーン」という音が今年一年の災いを払い落とすと考えられている。

老松神社のほんげんきょう画像と位置図

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