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文化遺産国分4丁目

ページID:0001823 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡(1)

登録番号 E0068
名称 国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡(1)
所在場所 国分4丁目(国分寺史跡指定地内)
文化遺産情報 史跡整備の際の、排水計画時の溜めマス。

国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡の画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(5)

登録番号 E0069
名称 国分寺史跡指定境界標(5)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(4)

登録番号 E0070
名称 国分寺史跡指定境界標(4)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(9)

登録番号 E0071
名称 国分寺史跡指定境界標(9)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(10)

登録番号 E0072
名称 国分寺史跡指定境界標(10)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

旧河川

登録番号 E0074
名称 旧河川
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 奧ノ池から国分地区の田んぼへ、灌漑用水路として機能していた旧河川。流路沿いの個人宅は、小さな石橋を渡って出入りしていたという。現在は道路整備事業による道幅拡張のため、河川の上に道路が作られている。

旧河川画像と位置図

筑前国分寺(龍頭光山筑前国分寺)

登録番号 E0075
名称 筑前国分寺(龍頭光山筑前国分寺)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 聖武天皇の発願で全国の国毎に建てられた国分寺のうち、筑前国分寺の跡。現在は、後継寺院「龍頭光山筑前国分寺」という真言宗の寺があり、また周辺は発掘調査に基づいて整備されている。

筑前国分寺(龍頭光山筑前国分寺)画像と位置図

史跡の公有地境界石柱(1)

登録番号 E0076
名称 史跡の公有地境界石柱(1)
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 筑前国分寺史跡の公有地境界を示す石柱。コンクリート製で正面には「文化財」の文字が刻まれている。筑前国分寺には2ヶ所あり、こちらは講堂跡北側斜面のものである。

史跡の公有地境界石柱画像と位置図

国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡(2)

登録番号 E0077
名称 国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡(2)
所在場所 国分4丁目(国分寺史跡指定地内)
文化遺産情報 史跡整備の際の、排水計画時の溜めマス。

国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡画像と位置図

国分天満宮

登録番号 E0078
名称 国分天満宮
所在場所 国分4丁目 国分寺南側
文化遺産情報 御祭神は菅原道真。昔は不老天神とも言われていた。縁起などは不明。当初は八幡宮であったものが、いつの時代か天満宮となり、産土神として祀られるようになった。現在は氏子の方々によって、宮座をはじめ、夏祭り、秋祭り、初詣などの祭事が執り行われている。

国分天満宮画像と位置図

国分天満宮境内の石柱

登録番号 E0079
名称 国分天満宮境内の石柱
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 国分天満宮の境内にある高さ64センチメートル程の石柱。社務所の敷地坪数等を示すもので、大正13年(1924)3月に建立されたものである。

国分天満宮境内の石柱画像と位置図

筑前国分寺講堂跡

登録番号 E0080
名称 筑前国分寺講堂跡
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 発掘調査の成果によると、11世紀末にはすでに講堂は失われていたらしい。1.期は7間×4間の四面庇建物となる。整備は1.期の遺構を平面復原したもので、礎石は大部分消失しているため3個だけ配してある。芝草が植えられているが、復原基壇上部や周辺部でつくし採りが楽しめる。

筑前国分寺講堂跡画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(8)

登録番号 E0081
名称 国分寺史跡指定境界標(8)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(2)

登録番号 E0086
名称 国分寺史跡指定境界標(2)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(3)

登録番号 E0087
名称 国分寺史跡指定境界標(3)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。史跡の範囲を表す。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(1)

登録番号 E0091
名称 国分寺史跡指定境界標(1)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

ムクノキの巨木3本

登録番号 E0095
名称 ムクノキの巨木3本
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 国分寺の北東に位置する毘沙門堂と若宮神社を覆うようにある3本の巨大なムクノキ群。太宰府市内最大で、平成21年(2009年)3月3日には「若宮神社の杜」として市指定文化財第10号(天然記念物)に指定されている。以前は、神社で神戻しを行う際の薪に使用するため、ムクノキの枝打ちを行っていた。

ムクノキの巨木3本画像と位置図

史跡の公有地境界石柱(2)

登録番号 E0096
名称 史跡の公有地境界石柱(2)
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 筑前国分寺史跡の公有地境界を示す石柱。コンクリート製で正面には「文化財」の文字が刻まれている。筑前国分寺には2ヶ所あり、こちらは毘沙門堂横のものである。

史跡の公有地境界石柱画像と位置図

国分 毘沙門堂

登録番号 E0097
名称 国分 毘沙門堂
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 四王寺山にある毘沙門天を参ることができないために、国分の人が毘沙門堂の石を持ち帰り彫って御神体にした。また、三井郡北野村の信者が四王寺の毘沙門様にお参りするのが遠いので土地を寄付してもらって建てたともいわれている。お堂は2回建て替えられている。

国分毘沙門堂画像と位置図

若宮神社

登録番号 E0098
名称 若宮神社
所在場所 国分4丁目(国分寺東北)
文化遺産情報 国分寺の東北にある神社。石祠は江戸時代の享和4年(1804)に建立されたもので、年紀が分かる祠では最古のものである。祠背面には22名の氏名が刻まれており、また、祠内には高さ43センチメートルの自然石が御神体として祀られている。

若宮神社画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(7)

登録番号 E0099
名称 国分寺史跡指定境界標(7)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標画像と位置図

国分寺史跡指定境界標(6)

登録番号 E0100
名称 国分寺史跡指定境界標(6)
所在場所 国分3~4丁目
文化遺産情報 大正11(1922)年に国分寺跡が国指定された頃に建てられたと思われる。史跡指定境界標内務省と刻まれている。

国分寺史跡指定境界標(6)

国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡(3)

登録番号 E0101
名称 国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡(3)
所在場所 国分4丁目(国分寺史跡指定地内)
文化遺産情報 史跡整備の際の、排水計画時の溜めマス。

国分寺西側公道の土堤にあるコンクリートの枡の画像と位置図

上ノ池をのぞむ風景

登録番号 E0103
名称 上ノ池をのぞむ風景
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 別名「田中池」とも呼ばれ、近世に造成された溜池と考えられる。新池からの調整池とされ、新池・奥ノ池の両池から水が入り込むように仕掛け水路が設けられる。池周辺からの風景は美しく、西方には水城跡や背振山脈が広がる眺望地である。

上ノ池をのぞむ風景と位置図

お山の見える場所

登録番号 E0123
名称 お山の見える場所
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 四王寺山から国分へ下りてくると、左側に尺上池、目の前には遙か遠く、背振山、金山、井原山、雷山、油山などの山を見渡すことができる。

お山の見える場所からの風景と位置図

鬼瓦

登録番号 E0151
名称 鬼瓦
所在場所 国分4丁目(文化ふれあい館)
文化遺産情報 鬼瓦は瓦葺建築の大棟・下棟・稚児棟の端に用いる飾り瓦である。全高は49.7センチメートル、現存最大幅35.5センチメートル。鬼面は肉盛りが厚く、逆立つ怒髪、つり上がった眉、四天王のような鋭い目、深い眉間の皺、厚く盛上った頬、口を大きく開いた憤怒相は、他の地方にない大宰府独特のものである。

鬼瓦画像と位置図

国分天満宮の宮座

登録番号 E0170
名称 国分天満宮の宮座
所在場所 国分4丁目
文化遺産情報 宮座は年に一度行われる神事であり、氏子の総会の意味を持つ行事。昔の宮座当番は、家の畳・襖・障子の張り替えから行っており、当元になると、自宅で直会(なおらい)をされていた。

国分天満宮の宮座画像と位置図

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