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文化遺産国分1丁目
水城跡(東門側)
登録番号 E0036
名称 水城跡(東門側)
所在場所 水城1丁目~国分1丁目
文化遺産情報 水城は唐・新羅の来襲に備えて、天智天皇3年(664)に築造された土塁。日本書紀に記録があり、記録に残る日本最初の城である。水城の東門側には門跡・礎石・木樋などが確認されている。現在は、春には桜、秋にはコスモスが咲き、市民の憩いの場となっている。
水城木樋跡(東門)
登録番号 E0038
名称 水城木樋跡(東門)
所在場所 国分1丁目
文化遺産情報 木樋はヒノキ材の底板2枚と側板、蓋板とからなっており、内法で幅1.2m、高さ80センチメートルである。底板2枚は柄つぎにすると同時に長さ25センチメートル、幅5センチメートルの鉄のカスガイでとめられている。蓋板は殆どが腐蝕してしまっていたが、痕跡から底板とは直角方向に架けられていたとみられる。
「水城」銘 墨書土器発見場所
登録番号 E0039
名称 「水城」銘 墨書土器発見場所
所在場所 国分1丁目(東門木樋取部南側)
文化遺産情報 県と九歴は、第10次調査(1978年12月1日から1979年1月31日)で木樋取水部南側250平方メートルを行ったが、木樋に関係する遺構は検出されなかった。しかし、木枠の井戸を確認し、そこから8世紀後半頃の「水城」銘の墨書された土師器の蓋が出土した。
水城瓦窯跡
登録番号 E0040
名称 水城瓦窯跡
所在場所 国分1丁目(水城跡南側)
文化遺産情報 8世紀中頃と考えられる瓦窯。窯の構造はロストル式の平窯で、登り窯が主流であった九州では珍しく、都でみられる平窯を用いている。
史蹟水城跡境界(3)
登録番号 E0048
名称 史蹟水城跡境界(3)
所在場所 国分1丁目(水城跡南側東)
文化遺産情報 史跡である水城跡と周辺の境界を示すためのもので、水城跡が史跡指定された大正10年(1921年)に設けられたものと思われる。水城跡は大正10年3月3日に内務省によって史跡指定され、その後次々に指定範囲を広げ平成15年(2003年)までに10回の追加指定を受けている。
川原地下道(太宰府市-07)
登録番号 E0059
名称 川原地下道(太宰府市-07)
所在場所 国分1丁目 国道3号線側道6号線
文化遺産情報 昭和末から平成にかけて国道3号線福岡二日市間の交通需要増大により、太宰府市関屋地区において交通混雑が目立っていた。このため、3号線バイパス建設として平成5(1993)年度より関屋高架橋工事に着手。平成8年(1996年)12月11日の完成に伴い、地下道も設置されている。
水城跡
登録番号 E0145
名称 水城跡
所在場所 国分1丁目・国分2丁目・市外(大野城市)
文化遺産情報 唐・新羅の来襲に備えて、天智天皇3年(664)に築造された土塁。日本書紀に「大堤を築きて水を貯えしむ。名づけて水城といふ」とあり、記録上確認できる日本最初の城である。現存の堤防は高さ13メートル、幅約80メートル、全長1.2キロメートル、博多側に幅60メートル、深さ4メートル外堀が確認されている。
紺町地下道(太宰府市-05)
登録番号 E0163
名称 紺町地下道(太宰府市-05)
所在場所 国分1丁目 正尻・川久保線
文化遺産情報 昭和末から平成にかけて国道3号線福岡二日市間の交通需要増大により、太宰府市関屋地区において交通混雑が目立っていた。このため、3号線バイパス建設として平成5(1993)年度より関屋高架橋工事に着手。平成8年(1996年)12月11日の完成に伴い、地下道も設置されている。
鍛冶久地下道(太宰府市ー06)
登録番号 E0166
名称 鍛冶久地下道(太宰府市ー06)
所在場所 国分1丁目 国道3号線側道6号線
文化遺産情報 昭和末から平成にかけて国道3号線福岡二日市間の交通需要増大により、太宰府市関屋地区において交通混雑が目立っていた。このため、3号線バイパス建設として平成5年(1993年)より関屋高架橋工事に着手。平成8年(1996)12月11日の完成に伴い、地下道も設置されている。
史蹟水城跡境界(4)
登録番号 E0172
名称 史蹟水城跡境界(4)
所在場所 国分1丁目(水城跡南側西)
文化遺産情報 水城堤に設置されている史跡境界碑。水城跡が史跡指定された大正10年(1921年)に設けられたものと思われる。水城跡は大正10年3月3日に内務省によって史跡指定され、その後次々に指定範囲を広げ平成15年(2003年)までに10回の追加指定を受けた。
国分松本遺跡
登録番号 E0185
名称 国分松本遺跡
所在場所 国分1丁目
文化遺産情報 水城跡から太宰府側へ800メートル程のところにある遺跡。弥生時代から奈良時代の遺跡で、特に弥生時代中期の甕棺墓群は、太宰府市内では最多の200基以上が検出されている。