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文化遺産坂本1丁目

ページID:0013098 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

大谷川から流れてくる水路(洗出付近)

登録番号 F0034
名称 大谷川から流れてくる水路(洗出付近)
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 昭和28年(1953)に発生した大谷川の氾濫で、近辺の土地は地名の通り”洗い出される”状況であったという。昭和46年(1971)から54年(1979)まで在任した川辺町長の時代に現在のような水路が整備され、その後の大雨でも被害は少なかった。

大谷川から流れてくる水路(洗出付近)

十三仏堂

登録番号 F0036
名称 十三仏堂
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 坂本区石橋にある御堂。石造不動明王立像、釈迦如来、文殊菩薩など十三仏が横一列に並び祀られている。近年まで、春・秋に千人参りの人々が来ていた。また、かつては代人さん(祈祷師)がいて、国分・坂本・通古賀で祈祷されていた。よく当たると評判で遠くからも信者が来ていたという。

十三仏堂

観音堂と観音像

登録番号 F0037
名称 観音堂と観音像
所在場所 坂本1丁目(字石橋)
文化遺産情報 坂本1丁目字石橋にある観音堂。堂内には高さ1m程の石造観世音菩薩立像が祀られている。以前は代人さん(祈祷師)がいたという。御堂の隣には十三仏堂がある。

観音堂と観音像

旧小字標石 石橋(いしばし)

登録番号 F0038
名称 旧小字標石 石橋(いしばし)
所在場所 坂本1丁目(字石橋)
文化遺産情報 旧小字名の石標(平成5年)。門司から鹿児島まで通り抜ける幹線道路であったため、当時としては珍しい石橋が架かっていた。そのあたりを石橋と呼び地名に残る。

旧小字標石 石橋(いしばし)

苅萱(かるかや)の関跡の碑

登録番号 F0040
名称 苅萱(かるかや)の関跡の碑
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 苅萱の関には、苅萱道心・石堂(童)丸の説話があり、説教「かるかや」として全国的に流布した。また、有名であった苅萱の関は菅原道真、宗祇法師、細川幽斎ら多くの歌人が歌に詠んでいる。現在、関跡には立派な石碑が建立されている。太宰府市民遺産第9号「苅萱の関跡とかるかや物語」の文化遺産。

苅萱(かるかや)の関跡の碑

石碑

登録番号 F0041
名称 石碑
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 坂本1丁目の恵比寿堂左後ろにある石碑。表面に残された「寄進」の文字がわずかながら判読できる。

石碑

石灯籠

登録番号 F0042
名称 石灯籠
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 坂本1丁目にある恵比寿堂の前に所在する石灯籠。御堂の右手に位置している。灯籠上部の石は、五輪塔空風輪。

石灯籠

旧小字標石 関屋(せきや)

登録番号 F0043
名称 旧小字標石 関屋(せきや)
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 平成5(1993)年の住居表示変更に伴い消える旧小字名を印した石標。関屋の由来は、昔の国道である往還に関所があった所といわれ、遺跡としては古代官道と条坊路がつながる位置にある。この往還沿いには、戦争の際に敵を妨害するために松が植えられており、並木の松と呼ばれていた。

旧小字標石 関屋(せきや)

恵比寿堂

登録番号 F0044
名称 恵比寿堂
所在場所 坂本1丁目(関屋恵比寿堂)
文化遺産情報 昭和9年(1934)、同14年(1939)に発生した飢饉の際に、村を豊かにし救って下さるようにと恵比寿様をお祀りしたといわれる。現在、関屋地区の方々の手でお祀りをされており、毎年12月3日にはえびす講が行われていたが現在は行われていない。

恵比寿堂

久保田井堰

登録番号 F0045
名称 久保田井堰
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 設置時期は定かではないが、江戸時代後期の1800年頃の記録では2町8反3畝を灌漑しており、井堰が損壊して補修を行う場合に大佐野村の山々から資材を調達出来るようにという嘆願が出された記録が残っている。付近には明治35年(1902)に建立された石碑が残されている。

久保田井堰

石燈籠(常夜燈)

登録番号 F0047
名称 石燈籠(常夜燈)
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 さいふ詣りの道を照らす灯籠として享和2(1802)年に寄進されたもの。台座には石工や願主など20名以上の人々の名が刻まれている。この灯籠に使う油代の為に、天満宮は小作の田を灯明田として貸与していた。灯明は、先の戦時中まで毎夕灯されていたが、現在は毎月25日にのみ灯されている。

石燈籠(常夜燈)

潮井台(潮齋台 しおいだい)

登録番号 F0048
名称 潮井台(潮齋台 しおいだい)
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 付近にある一の鳥居と共に、江戸時代後期の文久2年(1862)5月に建立されたものである。側面には奉献した人々や石工の氏名が刻銘されている。この潮井台は身を清めるための砂を置いた台であり、太宰府天満宮参拝者は砂を潮井として使い身を清め、天満宮へと参拝を行っていた。

潮井台(潮齋台 しおいだい)

関屋の道標(元禄4年の道標)

登録番号 F0049
名称 関屋の道標(元禄4年の道標)
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 一の鳥居のそばにある石碑(写真右側)。元禄4(1691)年に建立されたもので、高さ70センチメートルほどの玄武岩の自然石に表「是ヨリひがしさいふ参詣」裏「元禄四辛末天寄進 福岡呉服町帶屋宇兵書」と刻まれている。一の鳥居での事故による付近の道路整備の際に、道標もやや移動している。

関屋の道標(元禄4年の道標)

関屋の道標(宝暦・享和の道標)

登録番号 F0050
名称 関屋の道標(享和2年の道標)
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 一の鳥居のそばにある道標(写真左側)で、厚さ30センチメートル程の花崗岩に梅鉢紋が刻まれている。碑には2つの年号が刻銘されており、1つは碑の西側に天満宮850年祭にあたる宝暦2(1752)年の年号。もう1つは碑正面に、太宰府天満宮への道のりと共に、享和2(1802)年の年号が刻まれている。

関屋の道標(宝暦・享和の道標)

天満宮一の鳥居(関屋の鳥居)

登録番号 F0051
名称 天満宮一の鳥居(関屋の鳥居)
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 二本の太い円柱が堀立てられており、地上部より笠木頂部まで高さ6mある。柱の陰刻から文久2(1862)年に筑前國主左近衛権中將従四位下源朝臣斉溥建によって建立されたことが分かる。その後、事故により損傷し中貫の石材が差し替えられた。

天満宮一の鳥居(関屋の鳥居)

関屋橋の碑

登録番号 F0052
名称 関屋橋の碑
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 太宰府天満宮の一の鳥居の側に道標や潮井台と共に並ぶ石碑。明治時代に関屋橋の架橋を記念して建立されたものである。石碑には明治7年(1874)に関屋橋が架けられ、明治20年(1887)4月に再架橋されていることが刻銘で残されており、関屋橋が水害で度々流失していたことがうかがえる。

関屋橋の碑

関屋

登録番号 F0053
名称 関屋
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 太宰府市の西部、四王寺山脈の南麓に位置する坂本区の小字名。地名の由来は、刈萱伝説で有名な刈萱の関があったことによる。

関屋

関屋のつなぎだご

登録番号 F0130
名称 関屋のつなぎだご
所在場所 坂本1丁目
文化遺産情報 洗出付近の旧街道沿いの団子屋で売られていた名物で、親指大の団子5、6個を竹串にさして餡を塗ったもの。関屋の商人が、高橋紹運の機智を称え、竹串の団子を竹に突き刺された島津兵に見立て、売り出したといわれる。明治の中頃、小学校建設のために転業した。

関屋のつなぎだご

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