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文化遺産三条1丁目

ページID:0001305 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

幸の元井堰(さいのもといせき)取水口跡

登録番号 B0005
名称 幸の元井堰取水口跡
所在場所 宰府5丁目・三条1丁目
文化遺産情報 連歌屋・馬場・新町・大町・五条などの水田灌漑のため、御笠川から取水する井堰。取水した水は、古くから天満宮門前町の生活用水や防火用水も兼ね、江戸時代には幾度も修復工事が行われた記録が残っている。平成15(2003)年の水害により、現在は使用されていない。

幸の元井堰取水口跡画像と位置図

天原山安楽寺太宰府天満宮 検校坊墓所(けんぎょうぼうぼしょ)

登録番号 B0009
名称 天原山安楽寺太宰府天満宮 検校坊墓所
所在場所 三条1丁目
文化遺産情報 天原山安樂寺(太宰府天満宮)の社家、味酒安行の子孫「検校坊」の墓所。検校坊は太宰府天満宮を創始した味酒安行の次男を始祖とする宮司(みやじ)で、本殿の宿直を勤め、更衣祭などの役職を担っていた。

天原山安楽寺太宰府天満宮検校坊墓所画像と位置図

善五郎稲荷祠(中宮)

登録番号 B0011
名称 善五郎稲荷祠(中宮)
所在場所 三条1丁目
文化遺産情報 黒岩稲荷神社の末社として昭和60(1985)年建立されたものである。砂防ダム右岸に鳥居がある。また、水瓶山には祠も所在している。

善五郎稲荷祠画像と位置図

黒岩稲荷神社

登録番号 B0013
名称 黒岩稲荷神社
所在場所 三条1丁目
文化遺産情報 博多区吉堟の「善門稲荷大明神」(吉堟校区の文化財)が伏見稲荷神社の本山で、明治初期に堅粕地区の武家屋敷(松岡家)に尊座されたとの記述がある。本家横の石鳥居に「明治15年」とあることから同時期に黒田藩(松岡家)より当地に分霊され祀られたのではないかと思われる。

黒岩稲荷神社画像と位置図

原八坊本堂跡(はらはちぼうほんどうあと)

登録番号 B0020
名称 原八坊本堂跡
所在場所 三条1丁目
文化遺産情報 四王寺山東部から南へ下る斜面一帯にあった天台宗の寺院、原八坊の中堂跡。原八坊(原山無量寺)は、四王院の別院で、延暦寺五代座主智証大師円珍の弟子達が八つの坊を開き、その中心となる本堂、中堂、宝塔などを建てたと伝えられる。

原八坊本堂跡画像と位置図

普賢(ふげん)道路修繕費寄付表

登録番号 B0021
名称 普賢道路修繕費寄付表
所在場所 三条1丁目
文化遺産情報 大正7(1918)年、三条普賢の道路を改修した時の寄付者の名を記した記念碑。

普賢道路修繕費寄付表画像と位置図

水瓶山(みずがめやま)道標

登録番号 B0026
名称 水瓶山道標
所在場所 三条1丁目
文化遺産情報 昔雨乞いの行われた水瓶山に向かう道標。

水瓶山道標画像と位置図

慈母観音(子安観音)

登録番号 B0027
名称 慈母観音(子安観音)
所在場所 三条1丁目
文化遺産情報 昭和48(1973)年の水害による死亡者を供養するために建てられた慈母観音像。

慈母観音調査風景と位置図

原八坊中堂跡(はらはちぼうちゅうどうあと)

登録番号 B0101
名称 原八坊中堂跡
所在場所 三条1丁目
文化遺産情報 四王寺山東南麓一帯にあった天台宗の寺院、原八坊の中堂跡。原八坊は、四王院の別院で、延暦寺五代座主智証大師円珍の弟子達が八つの坊を建て、その中心となる本堂、中堂、宝塔などを建てたと伝えられる。完成は天安2(858)年とされ、原八坊の起こりである。

原八坊中堂跡画像と位置図

原遺跡

登録番号 B0105
名称 原遺跡
所在場所 三条1丁目ほか
文化遺産情報 太宰府市の小字原・水瓶・醍醐・普現・幸ノ元・建重寺・岩淵・梅ヶ谷の地域に広がる遺跡群である。中世の原山無量寺跡および諸坊跡が全体に広がり、12世紀の経塚も発見されている。その他旧石器や縄文時代早期の遺物なども発見されている。

原遺跡画像と位置図

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