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文化遺産向佐野2丁目

ページID:0013017 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

庚申塔(庚申天)

登録番号 H0033
名称 庚申塔(庚申天)
所在場所 向佐野2丁目
文化遺産情報 姪浜から引いてきた石でつくったと伝えられ、当初は近隣の屋敷外(シラツチ)に祀られていたものが、現在地に移転した。庚申信仰は、中国の道教思想に由来し、60日ごとに回ってくる庚申の夜に宿主の家に集い、眠らずに夜を明かすもの。

庚申塔(庚申天)

毘沙門堂

登録番号 H0034
名称 毘沙門堂
所在場所 向佐野2丁目(丸山神社境内)
文化遺産情報 古くからあり、‘ビシャモンヤシキ’と呼ばれていた。現在は祠堂内に石製・木製の「毘沙門天立像」2体が祀られている。

毘沙門堂

前田公園の保存遺跡

登録番号 H0035
名称 前田公園の保存遺跡
所在場所 向佐野2丁目(前田公園)
文化遺産情報 前田公園の地下に残された遺跡。遺跡そのものは広域で、小字前田・日焼・久郎利にまたがり、旧石器時代から江戸時代に至る遺跡がある。古代の都と大宰府をつないでいた官道が約150mにわたって検出された。この公園の北東に接する久郎利遺跡や原口遺跡には、奈良時代の整然と並ぶ建物群が確認され、官道に係わる公的な施設が置かれていたと考えられている。公園には古代官道の路面や側溝の跡がタイルで表示されている。

前田公園の保存遺跡

丸山神社

登録番号 H0036
名称 丸山神社
所在場所 向佐野2丁目(丸山神社)
文化遺産情報 流離の神様で、地元の人々によって大切に祀られている。昔は上流にあったといわれ、いつの頃か大水で流されてきたという。その場所を宮ノ本といい、ムラの人はモトミヤと呼んでいた。明治20年の大雨の時に流され、現在地にお祀りしたといわれる。

丸山神社

国鉄鹿児島本線赤煉瓦造架橋

登録番号 H0038
名称 国鉄鹿児島本線赤煉瓦造架橋
所在場所 向佐野2丁目
文化遺産情報 明治22(1889)年の博多~千歳川間の鉄道開通に伴い向佐野に架けられた鉄橋。ドイツ式の赤煉瓦で造られたものであった。1999年から新橋の架橋工事が行われ、2001年の新橋完成とともに姿を消した。

国鉄鹿児島本線赤煉瓦造架橋

佐野塾跡

登録番号 H0060
名称 佐野塾跡
所在場所 向佐野2丁目
文化遺産情報 佐野塾とは、太宰府市向佐野にある川辺家の屋敷内に天保年間から明治初年まであった寺子屋。明治になって寺子屋をたたみ、その後倉庫として昭和30年ごろまで使われる。現在は「佐野塾之址」碑が建つ。石碑後方にある土壇状の高まりが、倉庫跡だといわれている。

佐野塾跡

向佐野地下歩道

登録番号 H0072
名称 向佐野地下歩道
所在場所 向佐野2丁目
文化遺産情報 県道福岡筑紫野線を横断するため「長浦台入口」交差点に設置された地下歩道。昭和53年(1978)3月に竣工したもので、当時は太宰府西小学校・太宰府西中学校への通学路として大いに利用された。現在は交差点に信号が設置されたこともあり、利用する人はまばらになっている。

向佐野地下歩道

向佐野地区小祠・仏堂の信仰行事

登録番号 H0076
名称 向佐野地区小祠・仏堂の信仰行事
所在場所 向佐野2丁目
文化遺産情報 向佐野地区では、以前は観音講や大師講、庚申講などが盛んに行われていた。また、昭和初期までは札うち、戦後まもなくまでは彦山参りも行われていた。現在はこれらの信仰行事も減少してしまったが、地区の方々によって庚申講が行われている。

向佐野地区小祠・仏堂の信仰行事

丸山神社の年間諸祭

登録番号 H0084
名称 丸山神社の年間諸祭
所在場所 向佐野2丁目 丸山神社
文化遺産情報 伝統的な年間行事が氏子・地区の方々によって行われている。「春籠もり」「夏籠もり」「オヨド・宵祭り」「秋籠もり」「宮座」「神送り」などの年間行事が、現在も大切に受け継がれて行われている。またこの他に、境内の清掃等も氏子・老人クラブの方々によって毎月行われている。

丸山神社の宮座

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