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文化遺産吉松3丁目(2)

ページID:0013011 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

「水城堤」平成15年7月豪雨被害跡

登録番号 H0003
名称 「水城堤」平成15年7月豪雨被害跡
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 平成15年7月15日の豪雨の際、土砂崩れの被害を受けた「水城堤」の一現場。

「水城堤」平成15年7月豪雨被害跡

桜の大木跡

登録番号 H0004
名称 桜の大木跡
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 「水城堤」の西門を挟んだ西側の突端部には、大きな桜の樹が植えられていたという。西門の礎石も置かれ宴会のテーブルとして地域に親しまれていた。現在は、桜の樹も枯れ、礎石も移動し、その痕跡さえも見られない。

桜の大木跡

観音堂

登録番号 H0009
名称 観音堂
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 太宰府市吉松にある観音堂。十一面千手観音菩薩を祀り、四国23番札所となっている。以前はムラで大切に祀っており、7月17日夏祭りオヨドは氏神様よりも盛大であったといわれている。

観音堂

地藏堂

登録番号 H0010
名称 地藏堂
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 観音堂の横にあるお地蔵さんと呼ばれている。地蔵菩薩のほか弘法大師座像、阿弥陀如来座像、切石馬頭観音など、個人でお祀りできなくなった仏様、お地蔵さま、大師像などを集め、現在7体が祀られている。

地藏堂

大陸山 水城院(廃寺跡)

登録番号 H0012
名称 大陸山 水城院(廃寺跡)
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 大正13年(1924)7月、日蓮宗僧侶高鍋日統を中心に、「大陸発展、海外雄飛、大亜親交の道場」とする目的により建立された寺院の跡。戦後しばらくは活動していたが、その後廃寺になった。大正15(1926)年5月15日 朝鮮総督斉藤実により、朝鮮全羅北道出土の梵鐘の寄贈を受ける。

大陸山 水城院(廃寺跡)

高射砲陣地跡

登録番号 H0013
名称 高射砲陣地跡
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 太平洋戦争末期に、旧日本軍の諸施設防護、および南部から来る連合国軍の爆撃機に対応するために設置された高射砲陣地の跡。

高射砲陣地跡

古渓大明神祠

登録番号 H0014
名称 古渓大明神祠
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 「コッケサマ」は、もと京都大徳寺の住僧で豊臣秀吉の怒りにふれ博多に流罪となった古渓禅師のこと。明治初期、村中大火があり、博多古渓町より勧請され、民家横の山の中に祀られた。秋の宝満宮・八幡宮の宮座の折に注連縄がつくられ、ここにも奉納される。

古渓大明神祠

浅川家墓地

登録番号 H0015
名称 浅川家墓地
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 明治期において吉松地区の農業の発展に寄与した篤農家浅川甚次郎の墓とその一族の墓地。

浅川家墓地

熊田勇吉の墓

登録番号 H0016
名称 熊田勇吉の墓
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 明治期の吉松地区の政治的先駆者である熊田勇吉の墓。墓裏面に功績碑文がある。墓の横には、「故 熊田勇吉百回忌供養塔」が建てられている。

熊田勇吉の墓

汐井川

登録番号 H0017
名称 汐井川
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 吉松大池から大佐野川に注ぐ川(水路)。かつては清流で、きれいな砂が採れ、潮井としていた。

汐井川

島本遺跡

登録番号 H0018
名称 島本遺跡
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 水城西門を通り、筑紫館(鴻臚館)に通じる官道跡の遺跡。かつては舗装の色を区別してあり、1階駐車場部分に官道幅を見ることができたが、現在は同色となり判別ができなくなっている。

島本遺跡

石碑(神徳如天)

登録番号 H0019
名称 石碑(神徳如天)
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 宝満宮、八幡宮の入口右側にあり。昭和30(1955)年吉松区の10人が土地183坪を宝満宮八幡宮に寄贈したのを記念して建立。「昭和三十年」の紀年銘がある石碑。碑銘「神徳如天 宝満宮司西高辻信貞書」、そのほか、寄贈者名が記されている。

石碑(神徳如天)

若宮様(石塔)

登録番号 H0020
名称 若宮様(石塔)
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 宝満宮・八幡宮の入口に「庚申塔」(猿田彦大神)と並んで建つ石塔「若宮さま」。

若宮様(石塔)

宝満宮旗立石

登録番号 H0021
名称 宝満宮旗立石
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 「明治廿二(1889)年已丑三月建」の紀年を持つ旗立石

宝満宮旗立石

猿田彦大神

登録番号 H0022
名称 猿田彦大神
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 吉松宝満宮・八幡宮入口にある猿田彦大神石塔。

猿田彦大神

石碑

登録番号 H0023
名称 石碑
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 吉松の宝満宮・八幡宮の拝殿左側の花梨の木の根元にある石碑。銘文は判読不能。台座には、平成3年9月14日台風17号と刻まれている。

石碑

「けやき」の木

登録番号 H0024
名称 「けやき」の木
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 浅川甚次郎(慶応2年〈1866〉11月13日生まれ、篤農家、区長を3期務める)が宝満宮に献木したケヤキの木。傍に「献木 区長浅川甚次郎」と刻まれた石碑がある。

「けやき」の木

宝満宮・八幡宮

登録番号 H0025
名称 宝満宮・八幡宮
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 藩政時代に尊田・吉松で各々祀られていた八幡宮・宝満宮が合祀されている(合祀期は明治25年頃)。両者の産土の神を祀る。近年の秋の宮座は、10月15日に近い日曜日に行われている。

宝満宮・八幡宮

八幡宮遥拝所

登録番号 H0026
名称 八幡宮遥拝所
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 吉松の枝村園田(尊田)の氏神八幡宮が本村の氏神宝満宮に合祀された(明治25年頃)ため、跡地である現在の太宰府歴史スポーツ公園相撲場入口付近に建てられた遥拝所。福岡・筑紫野線道路開通のため、現在は宝満宮の裏山に移転した(大正9年)。

八幡宮遥拝所

板碑

登録番号 H0027
名称 板碑
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 八幡宮遙拝所横にある。尊田の「八幡宮」、後の「八幡宮遙拝所」境内に祀られていたものをここに移転した、との話が伝えられる。

板碑

猿田彦尊

登録番号 H0028
名称 猿田彦尊
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 旧道に面して建つ尊田の路傍神。「猿田彦尊」。

猿田彦尊

宝満宮・八幡宮の年間諸祭

登録番号 H0065
名称 宝満宮・八幡宮の年間諸祭
所在場所 吉松3丁目(宝満宮・八幡宮)
文化遺産情報 4月・春籠り、田植え後の7月中旬・サナブリ籠り、7月中旬・夏籠り、夏まつり(オヨド)、9月上旬・秋籠り、10月15日・秋祭り宮座、10月28日・神送り、11月28日・神戻し、等が地域の方々によって行われていた。行事は減少したが、現在も夏祭り(オヨド)、宮座が実施されている。

宝満宮・八幡宮の年間諸祭

小祠、仏堂の信仰行事(吉松)

登録番号 H0066
名称 小祠、仏堂の信仰行事(吉松)
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 観音様のヨド(7月17日)、川祭り(八反川、汐井川)、ダブリュウ(10月初め)、庚申講、大師講(毎月20日)、英彦山まいり、札うち等の行事が行われていた。現在も周辺住民の努力により一部が継続され、これらの行事や伝統が区民住民の団結力を高める役割を果たしている。

小祠、仏堂の信仰行事(吉松)

水城院への参詣道

登録番号 H0067
名称 水城院への参詣道
所在場所 吉松3丁目
文化遺産情報 高鍋日統師が、斎藤実氏や頭山満氏等の要人を水城院まで招待するために整備した水城西門から水城院へと続く私道。大正15年(1926)に完成したこの道路を、地元の人々は親しみを込めて「日統参道路」と呼んだ。また、斎藤実(朝鮮総督)から寄贈された梵鐘は、この道を通ったという。

水城院への参詣道

宝満神社の宮座

登録番号 H0086
名称 宝満神社の宮座
所在場所 吉松3丁目(宝満宮)
文化遺産情報 宮座とは、まつり座を設けて神を迎え、供物を献じ、祈願・感謝をこめる行事。拝殿にて神事を執り行う。お供えは、野菜(大根、人参、ごぼう、栗、みかん等)と新米を供えている。

宝満神社の宮座

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