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文化遺産大字太宰府(3)

ページID:0012116 更新日:2021年8月31日更新 印刷ページ表示

普賢菩薩堂

【登録番号】B0007
【名称】普賢菩薩堂
【所在場所】大字太宰府
【文化遺産情報】太宰府市三条の普賢山山頂にあり、かつてあった天台宗の寺院の「原八坊」といわれた中世寺院に関連する。地元では伝教大師、または智証大師の創立と伝えられている。筑紫国第99番札所にもなっている。

普賢菩薩堂

水瓶山(雲龍神)祠と石

【登録番号】B0010
【名称】水瓶山(雲龍神)祠と石
【所在場所】大字太宰府(水瓶山)
【文化遺産情報】水瓶山は雨乞い祈願(リョウアゲ)が行われている大切な場所で、この祠はその行事に関わる一族の方が昭和61年頃に建てられたもの。以前は法華曼荼羅の板碑が山頂に建てられているだけであったが、碑を覆うように祠が建立された後は祠内で大切に祀られている。板碑は市指定有形文化財である。

水瓶山(雲龍神)祠と石

四王寺山三十三石仏 第1番札所

【登録番号】B0012
【名称】四王寺山三十三石仏 第1番札所
【所在場所】大字太宰府(水瓶山)
【文化遺産情報】四王寺山を巡る三十三石仏の札所。現在、お堂内には如意輪観音菩薩座像が2体並んで祀られているが、向かって左側は昔から伝えられているもので「一番 太宰府 施主 柴田市次」と銘が残されている。一方、向かって右側は真龍雲寺の前堂主が、昭和の初め頃に建立。

四王寺山三十三石仏 第1番札所

岩屋城跡

【登録番号】B0015
【名称】岩屋城跡
【所在場所】大字太宰府
【文化遺産情報】四王寺山地南腹に築かれた戦国期の山城跡。戦国時代末には豊後の大友家の所有となり、家臣の高橋紹運の持ち城であった。天正14年7月、九州制圧を目指す島津軍の攻撃に対して高橋紹運は籠城して戦い、城兵と共に壮絶な討死を遂げた。現在、本丸跡に石碑、二の丸跡に紹運と家臣の墓がある。

 

岩屋城跡

四王寺山三十三石仏 第14番札所

【登録番号】B0056
【名称】四王寺山三十三石仏 第14番札所
【所在場所】大字太宰府(四王寺山)
【文化遺産情報】四王寺山三十三石仏の第14番札所は、大原山の南に位置しており、高さ48センチメートルほどの花崗岩に彫られた如意輪観音菩薩像が祀られている。

 

四王寺山三十三石仏 第14番札所

三条・天満宮方面への仕事道

【登録番号】B0059
【名称】三条・天満宮方面への仕事道
【所在場所】大字太宰府(四王寺山)
【文化遺産情報】昭和40年代迄(四王寺林道が完成する迄)四王寺村落より太宰府三条方面、天満宮方面へ主に女性が仕事のため通ったと言われる道。

三条・天満宮方面への仕事道

四王寺山三十三石仏 第2番札所

【登録番号】B0064
【名称】四王寺山三十三石仏 第2番札所
【所在場所】大字太宰府(水瓶山)
【文化遺産情報】四王寺山三十三石仏の第2番札所は、水瓶山から九州自然歩道を登り四王寺山を目指すと、四王寺山を巡る土塁線に至る手前の斜面に祀られている。高さ96センチメートルほどの花崗岩に聖観音菩薩立像が彫られており、刻銘から寛政12年(1800)に建立されたことがわかる。

四王寺山三十三石仏 第2番札所

四王寺山三十三石仏 第3番札所

【登録番号】B0065
【名称】四王寺山三十三石仏 第3番札所
【所在場所】大字太宰府(水瓶山)
【文化遺産情報】第3番札所は、四王寺山三十三石仏で唯一の磨崖仏。花崗岩の石壁には千手千眼観音菩薩立像が彫られ、右上には梵字も残る。付近では江戸期の通貨「寛永通宝」が見つかり、江戸時代に霊場巡りをして祈りをささげた人々の面影を今に伝えてくれる。

四王寺山三十三石仏 第3番札所

四王寺山三十三石仏 第4番札所

【登録番号】B0066
【名称】四王寺山三十三石仏 第4番札所
【所在場所】大字太宰府(水瓶山)
【文化遺産情報】第4番札所は2番・3番と並ぶようにあり、高さ68センチメートルほどの花崗岩に彫られた千手観音菩薩立像が祀られている。

四王寺山三十三石仏 第4番札所

四王寺山のビューポイント 5

【登録番号】B0070
【名称】四王寺山のビューポイント 5
【所在場所】大字太宰府(四王寺山)
【文化遺産情報】焼米ヶ原一帯の土塁線上。東に背振・九千部山、正面南に基山、その奥に耳納の山々が長々と連なっている。さらに東の方には古処山が大根地山の後ろに望遠でき、宝満山群へと続いている。視界が開けたこの場所は、元日早朝は御来光を拝む人々で埋め尽くされる。

四王寺山のビューポイント 5

岩屋城合戦 関連石造物 1

【登録番号】B0071
【名称】岩屋城合戦 関連石造物 1
【所在場所】大字太宰府(四王寺山 大野城焼米ヶ原)
【文化遺産情報】大野城の土塁上、岩屋城の水ノ手上砦付近に建立されている石碑。戦国時代の天正14年(1586)に行われた岩屋城合戦で討ち死にした、高橋紹運の家臣村山刑部以下68名を記したものである。石碑には高橋紹運の辞世句と建立者の方々の名前が刻まれている。

岩屋城合戦 関連石造物 1

旧太宰府町道

【登録番号】B0072
【名称】旧太宰府町道
【所在場所】大字太宰府(四王寺山)
【文化遺産情報】四王寺村から太宰府中心部への約4キロメートルの山道で、古地図には「太宰府町道」とある。太宰府小学校へ通う四王寺村の子供達が使う通学路として賑やかな日常風景がみられた。2011年1月30日に、太宰府市民遺産第3号に認定。

旧太宰府町道

太宰府口城門跡

【登録番号】B0090
【名称】太宰府口城門跡
【所在場所】大字太宰府
【文化遺産情報】大野城の南側に二重になっている土塁の外郭土塁に設けられ、両側は石垣(水の手石垣)で固められている。門礎は約5.4mの間隔をおいて2列平行し、両方とも門礎には円形柱座、方立柱の孔があり、北側のみ扉軸受孔を持つ門礎がある。

太宰府口城門跡

梅ヶ枝餅

【登録番号】B0099
【名称】梅ヶ枝餅
【所在場所】太宰府市内
【文化遺産情報】ある老婆が、不遇の菅公を慰めようと、時折餅を差し上げたとも、また、菅公の死後、梅の一枝を添えて餅を柩に捧げたのが始まりともいわれる。焼き餅とも呼ばれ、天満宮参詣のお土産になっている。焼き餅二つの間に餡を挟み食べることもある【下写真】。

梅ヶ枝餅

岩屋磨崖石塔群

【登録番号】B0103
【名称】岩屋磨崖石塔群
【所在場所】大字太宰府
【文化遺産情報】四王寺山南斜面で高橋紹運胴塚から降りた所にある磨崖石塔群。岩盤を利用して陽刻された石塔が並んでいる。鎌倉時代後半から室町時代にかけての頃の盛んな宗教活動がうかがえる資料。

岩屋磨崖石塔群

毘沙門天の鳥居

【登録番号】B0111
【名称】毘沙門天の鳥居
【所在場所】大字太宰府(四王寺山)
【文化遺産情報】太宰府口城門跡を過ぎると見えてくる石造鳥居。太宰府からの毘沙門天参りの入口となる鳥居で、扁額には「毘沙門天王」と刻まれている。昭和10年(1935)に屋山軍兵衛氏が発起人となり建立されたもので、鳥居の石材は四王寺村近辺の石切場から運んだものと伝えられる。

毘沙門天の鳥居

水手(今、田アリ)

【登録番号】B0112
【名称】水手(今、田アリ)
【所在場所】大字太宰府(四王寺山)
【文化遺産情報】太宰府口城門に続く石垣を「水の手砦」と称していた。今も石垣に水が流れており、古来、水確保のうえで重要な役割を果たしていたと考えられる。また、『太宰府旧蹟全図北』には、「今、田アリ」と記述があり、江戸時代にはその水を使い、田があった様子がうかがえる。

 

水手(今、田アリ)

四王寺山 三十三石仏

【登録番号】B0119
【名称】四王寺山 三十三石仏
【所在場所】太宰府市・市外(糟屋郡宇美町四王寺)
【文化遺産情報】江戸時代後期の寛政年間(1789~1801)、災害や凶事が続いた博多の人々が発起してつくられたという。石仏は四王寺山を一周する土塁線上を周回するように配置されており、「三十三石仏巡り」として参拝する人や、散策を楽しむ根強いファンをもっている。2019年8月26日に太宰府市民遺産第15号に認定。

四王寺山 三十三石仏

由来不詳の石造物(2)

【登録番号】B0126
【名称】由来不詳の石造物(2)
【所在場所】大字太宰府(水瓶山)
【文化遺産情報】四王寺三十三石仏4番札所前にある石造遺物。人工的に加工された跡があるが、何に使われたか不明。

由来不詳の石造物(2)

2019

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