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4.近世の太宰府
戦国時代末期、豊後の大友氏の家来、高橋紹運(しょううん)が島津氏に攻められて、四王寺(しおうじ)山腹の岩屋(いわや)城で玉砕したのを最後に大宰府は静かな農村に姿を替え、江戸時代が過ぎていきます。
その後、太宰府天満宮とその門前町はさいふまいりの人々で賑わいを見せました。
そして幕末、京を追われた尊皇(そんのう)派の三条実美(さねとみ)たち五卿(ごきょう)は、長州を経て、太宰府へ移されます。
慶応3年(1867)に京に戻るまでの3年間、現在の太宰府天満宮宮司邸(延寿王院(えんじゅおういん))に住いを与えられた彼らの元に薩摩や長州の勤皇志士たちが出入りします。