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姉妹都市 扶餘郡(大韓民国・忠清南道)

ページID:0002278 更新日:2023年3月16日更新 印刷ページ表示

 姉妹都市提携10周年!

太宰府市と大韓民国扶餘郡は、令和4年に姉妹都市提携10周年を迎えました。
姉妹都市承継協定締結日:平成24年4月8日

令和4年度中に実施した事業

  • 関連書籍特集コーナー「姉妹都市韓国・扶餘を知る」
    3月31日(木曜日)~4月26日(火曜日)/太宰府市民図書館
    市民図書館に協力いただき、大宰府と百済のつながり、水城跡関連の書籍などを集めたコーナーを設け、提携経緯を掲示しました。
  • 広報だざいふ4月号での扶餘郡特集・裏表紙「太宰府の文化財」での記念記事
    12~13ページで扶餘郡や提携経緯について特集したほか、裏表紙「太宰府の文化財」では、提携10周年を記念して「百済の都 扶餘」について掲載しました。
  • まほろば号でのバナー掲示
    4月1日(金曜日)~4月30日(土曜日)/コミュニティバス「まほろば号」車内
    提携月の4月に、市内を走るコミュニティバス車内に、10周年を祝うバナーを掲示しました。
  • 姉妹都市記念給食
    4月22日(金曜日)/市内小学校
    例年行っている記念給食の今年のメニューは、「麦ごはん、牛乳、デジプルコギ、ナムル、わかめと卵のスープ」でした。
  • 姉妹・友好都市パネル展
    6月21日(火)~30日(木)/市役所1F市民ギャラリー
    例年よりも周年である扶餘郡・奈良市についてのコーナーを充実させました。扶餘に残る史跡の写真を中心に、太宰府とのつながりを紹介しました。
  • 扶餘郡守とのオンライン対談
    8月8日(月曜日)
    扶餘郡守が来宰予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大により急遽オンライン対談となりました。お互いに周年のお祝いの言葉を述べるとともに、承継前の扶餘邑から含めると40年以上にわたる交流の歴史を今後も続けていきたいと述べるなど、対談は和やかな雰囲気で行われました。
  • 扶餘郡訪問・姉妹都市承継10周年記念友好調印式
    10月7日(金曜日)~10月9日(日曜日)
    扶餘郡を訪問し、10周年の節目に改めて、今後もさらに交流を推し進めていく思いを確認しあいました。

太宰府市民図書館の関連書籍特集コーナーの写真。上に横断幕、その下に締結経緯のパネル。ほか、これまでの交流について掲載本棚にフォーカスした写真令和4年の広報だざいふ4月号の扶餘郡特集記事のスクリーンショットまほろば号車内に扶餘郡との姉妹都市承継提携10周年を祝うバナーが掲示されている様子姉妹都市記念給食の画像です市役所1階市民ギャラリーでパネル展示をしている全体写真扶餘郡守とオンライン対談している様子都府楼焼を手に笑顔の扶餘郡守と楠田市長の写真

基本情報

 

扶餘郡は、朝鮮半島の中西部よりやや南に位置する忠清南道にある郡だとわかる画像

扶餘(プヨ)郡は、韓国西部、忠清南道(チュンチョンナムド)の郡で、錦江(クムガン(別名白馬江))流域の自然に恵まれ、百済(くだら)王朝の都・泗沘(サビ)があった歴史あるまちです。
扶餘郡や周辺自治体が有する遺跡が「百済歴史遺跡地区」としてユネスコの世界遺産に登録され、近年、韓国国内外からの観光客が増えています。
また、温暖な気候から農業も盛んで、特産品の農産物はブランド化され、日本をはじめ世界各国に輸出されています。

  • 姉妹都市承継協定締結 平成24年4月8日
  • 人口 63,260人(2022年4月現在)
  • 面積 624.6平方キロメートル

道…広域自治体。国の下に、1特別市・6広域市・8道・1特別自治市・1特別自治道がある。
郡…「道」の下に置かれる。忠清南道の下には8市7郡がある。
邑…「郡」の下に置かれる。日本の町に相当するが、自治権はない。扶餘郡の下には1邑15面(村)がある。

関連ホームページ

大韓民国扶餘郡ホームページ(日本語版)<外部リンク>

主な名所

扶蘇山、官北里遺跡、定林寺址、羅城、陵山里古墳群、宮南池、百済文化団地、白馬江、薯童謡テーマパーク、国立扶餘博物館 など

扶餘羅城

扶餘羅城の航空撮影写真。田園風景のなかの土塁が映っている。太宰府の水城とよく似ている。

百済王朝の都・泗沘(サビ。現在の扶餘)を防衛するために築かれた外郭。扶蘇山城を起点として、扶餘の北と東を囲んでいます。羅城とは、古代東アジアで都市を防御するために土塁や石塁を巡らせたものをこう呼びます。扶餘羅城は日本の羅城に最も近い類例です。大宰府の水城は、滅亡後の百済の遺臣たちによって築かれたといわれています。

定林寺址

定林寺址の写真。奥に講堂が見え、手前中央に石塔が立っている。

定林寺は泗沘の中心に位置し、そびえ立つ石塔が残っています。百済が唐に滅ぼされた際、城は7日間燃え続け、泗沘には建造物がほとんど残っていない状態でした。この石塔表面には、百済を滅亡させたという唐の戦勝文が刻まれており、定林寺が百済王朝の運命と直結する象徴的な空間だったことを示唆しています。
また、周辺の土地が定林寺より低くならされていたため、周囲に威容を誇る寺院であったとみられています。

薯童謡テーマパーク(ドラマ「薯童謡(ソドンヨ)」撮影地)

薯童謡テーマパークの俯瞰図。

2005年のドラマ「薯童謡(ソドンヨ)」が撮影された地。このドラマは「チャングムの誓い」という有名作品の演出家・脚本家のもと制作され、日本でも放送されました。当時敵国同士であった新羅・百済の話で、今も歌い継がれる童謡を題材にしています。童謡の内容は、実は百済の王家の血を引く芋売りの少年が、新羅の美しい姫に惹かれ、町の子供たちに薯童謠(姫が夜に城を抜け出して芋売りと会っているという嘘)を歌わせ、醜聞により城を追い出された姫と、姫と合流したその少年が掘り起こした黄金で新羅の王に認められ、民心を得て百済の王になるというものです。

主な特産品

扶餘郡では独自に扶餘共同ブランドを作り、扶餘の肥沃な土地と美しい自然環境で生産された最高の製品を「グッドトゥレ」として認定しています。スイカ、ミニトマト、メロン、栗、しいたけに関しては、韓国内でも最大の生産地です。

グッドトゥレのロゴマーク。黒いアルファベット大文字でG、O2つが赤い太陽のようなものと、黄色の丸、Dは葉っぱのようなデザイン。

真っ赤に熟したミニトマトが枝に実っている様子
扶餘郡は韓国内でミニトマトの最大生産地

 

姉妹都市提携の経緯

太宰府と扶餘とのつながりは古く、663年日本・百済連合軍が唐・新羅連合軍との白村江の戦いで大敗した後、北部九州防衛のために水城堤防・大野城など3城の山城を築造した際、これらの工事を指導したのが扶餘(当時の百済国の都)からきた技師たちであったといわれています。特に大野城など大宰府をめぐる山城は扶餘に残る山城とそっくりで、太宰府と扶餘との間に深いつながりがあった歴史的な証拠ともいわれています。

太宰府と扶餘の姉妹都市提携のきっかけは、昭和46年ごろからの太宰府天満宮の文化研究所と扶餘文化院との研究交流に始まります。その後、昭和52年に太宰府天満宮の菅公1075年大祭の一環として、交流使節団を結成して扶餘を訪問した際、同行した当時の町長が姉妹都市提携の申し出を行い、翌年の昭和53年、当時の太宰府町と扶餘邑が姉妹都市盟約宣言および姉妹都市提携に関する協定書を交わしました。

姉妹都市となった太宰府と扶餘は、人、文化、教育など、多岐にわたる官民さまざまな交流を行い、友好の絆を深めてきました。
それから34年、それまでの友好関係をさらに発展させ、交流を拡大しながら次世代につなげるために、扶餘邑との姉妹都市関係を上級行政区域である扶餘郡へと「承継」することとなり、平成24年、太宰府市市制施行30周年にあわせて、姉妹都市承継協定書を交わしました。

これまでの主な交流

  • 市内小中学校と扶餘郡内小中学校との姉妹校交流(平成元年度から継続)
  • 太宰府少年の船と百済青少年の星との相互交流(昭和61年度から隔年)
  • 文化財保存活用の意見交換(平成30年度)
  • 市民訪問団の派遣(平成20年度、平成24年度、平成29年度)
  • 太宰府市民2名を扶餘郡広報大使に任命(平成28年度)
  • 文化交流公演(平成26年度)

文化交流公演の写真。プラムカルコア太宰府のステージで、韓国から来た忠南国楽団が民族衣装着て伝統音楽を奏でる様子。
プラム・カルコア太宰府での扶餘郡忠南国楽団による演奏

体育館に太宰府西小学校の小学生が集まり、ステージ上のスクリーンに百済初等学校の小学生が映されている。お別れの時間で、ステージ前カメラに向かって手を振る太宰府西小の生徒たちの写真。

令和3年度姉妹校交流の様子(オンラインで実施)

 

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