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「大宰府」と「太宰府」のちがいについて教えてください。
一般的には、古代の役所に関連する場合は「大宰府」、中世以降の地名は「太宰府」を用いています。
古代におけるダザイフの正式な表記は、現存する古代の印影(押印された印の文字)が「大宰之印」であることから、「大宰府」であったと考えられています。
しかし、奈良時代の文書にも、すでに「太宰府」と表記されているものがあります。その後、中世からは「太宰府」と表記する文書が多くなり、近世以降はほとんど「太宰府」と表記するようになっているようです。これらの表記の使い分けについては、断定するまでは至っておらず、現在でも研究されているところです。
昭和30年代末頃、九州大学の鏡山猛(かがみやまたけし)教授が地名や天満宮など以外は「大宰府」と表記するようにされたことをきっかけとして、一般には古代律令時代の役所、およびその遺跡に関するダザイフは「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記されるようになりました。現状では、行政的な表記もこれにならい、「大宰府政庁跡」「太宰府市」というように明確に使い分けています。
ちなみに、「宰府」という地名については、現在確認できる最も古いのは永長2(1097)年の記述で、12世紀以降、使用例は増加していきます。この「宰府」は、役所機関としての「大宰府」、もしくは地名としての「太宰府」の略称として使用されたようです。