市内の指定文化財 史跡

国指定記念物

大宰府跡

大宰府跡正殿画像(南西から)

読み/だざいふあと
所在/坂本三丁目、観世音寺四丁目ほか
指定年月日/大正10年3月3日史跡指定
昭和28年3月31日特別史跡指定

古代律令制下にあって外交を握り、西海道(九州)諸国(九国二島)も統括した大宰府の中枢です。東西111.6メートル、南北211メートルの政庁では重要政事儀式が執り行われていました。建物は大きく三期に分かれ、7世紀後半の掘立柱建物群に始まり(I期)、8世紀初頭には礎石建物に建て替えられ(2.期)。その後、941年の藤原純友の乱によって焼失しますが、すぐに現在見ることができる2.期とほぼ同規模の建物が再建されました(3.期)。しかし、11世紀後半代には政庁はその機能を失い、現在見るような礎石のみの姿になったと考えられています。

水城跡

水城跡上空からの画像

読み/みずきあと
所在/水城一丁目、国分一丁目、吉松一丁目から三丁目ほか
指定年月日/大正10年3月3日史跡指定
昭和28年3月31日特別史跡指定

663年の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れた日本が国土防衛のため築造した土塁です。『日本書紀』天智天皇3(664)年の条に「於筑紫、築大堤貯水、名曰水城」と記されています。土塁の規模は全長1.2キロメートル、基底部幅80メートル、高さ9メートルで、土塁の内外には濠が設けられ、それらを繋ぐ木樋も確認されています。また、土塁の東西にはそれぞれ門が設けられ、官道が通り抜けています。

大野城跡

大野城跡遠景画像

読み/おおのじょうあと
所在/坂本、観世音寺、太宰府
指定年月日/昭和7年7月23日史跡指定
昭和28年3月31日特別史跡指定

『日本書紀』には、白村江の戦い敗戦後の天智天皇4 (665) 年に百済の亡命者である憶礼福留、四比福夫の指揮のもと築造された城と記されています。平安時代初めまで使われていました。四王寺山の尾根に沿って土塁を巡らし、谷部には石垣が築かれています。現在確認されている城門は8カ所で、城内各所には礎石を伴った建物群が点在し7カ所、計約70棟に及んでいます。

観世音寺境内及び子院跡附老司瓦窯跡

観世音寺境内及び子院跡附老司瓦窯跡上空からの画像

読み/かんぜおんじけいだい および しいんあと つけたり ろうじかわらがまあと
所在/観世音寺五丁目6-1ほか
指定年月日/昭和45年9月21日指定

観世音寺は、『続日本紀』によると、筑紫で亡くなった母帝斉明天皇の供養のために天智天皇が建立を発願したもので、伽藍は天平18(746)年に完成しています。最盛時には49の子院を擁し、西日本屈指の大伽藍を誇っていましたが、度重なる大火等によって多くの伽藍を失いました。しかし、現在でも国宝の梵鐘をはじめ多くの仏像が残り、境内に残る伽藍の礎石と共に往時を偲ぶことができます。

筑前国分寺跡

筑前国分寺跡上空からの画像

読み/ちくぜんこくぶんじあと
所在/国分四丁目
指定年月日/大正11年10月12日指定

天平13(741)年に聖武天皇の勅願により全国に造られた国分寺のひとつです。その伽藍配置は中央に金堂、北側に講堂、南東の一角に七重塔、南側に中門、南大門を配し、それを回廊で結んでいます。その後平安時代末期には廃絶していたと考えられます。現在も一辺約17.4メートルの塔跡には巨大な塔心礎が残っています。

国分瓦窯跡

国分瓦窯跡石碑画像

読み/こくぶかわらがまあと
所在/大字国分
指定年月日/大正11年10月12日指定

大宰府政庁・国分寺・観世音寺等の瓦を焼いた窯です。窯はスサ入り煉瓦状粘土で造られた地下式有階無段登窯で、高さ1.5メートル、間口1.5メートル、奥行5.5メートルを測ります。現在地下に2基保存されています

大宰府学校院跡

学校院跡画像

読み/だざいふがっこういんあと
所在/観世音寺四丁目
指定年月日/昭和45年9月21日指定

学校院(府学)は古代律令官制機構を支える大宰府の官吏の養成機関です。西海道(九州)諸国(九国二島)の郡司層子弟を対象としていました。「職員令」によると府学には博士1人が置かれていますが、のちには音博士・明法博士が増員されました。天応元(781)年の太政官符には医生・算生200余人とあります。調査では蓮華文様塼が出土していますが、その遺構は未解明な部分が多く残されています。

宝満山

宝満山遠景画像

読み/ほうまんざん
所在/大字内山、北谷、筑紫野市ほか
指定年月日/平成25年10月17日指定

宝満山は太宰府市の北東にそびえる標高829mの山です。古代の役所である大宰府と密接な関係があり、山中の竈門山寺(のちの大山寺、有智山寺)では、天台宗を開いた最澄らが入唐する前にこの寺で航海の安全を祈願したといわれています。中世以降は修験道の山として栄え、近世を通じて信仰の山として発展しました。その信仰は今も竈門神社などに連綿と引き継がれています。現在山中には祭祀跡、祭祀や修行に関係する窟、寺社に関係する堂舎跡、居住空間としての坊跡など古代から近世に至る遺構が良好に残っており、わが国の山岳信仰のあり方を考えるうえで重要です。

県指定記念物

宮ノ本遺跡

宮ノ本遺跡の墓地出土画像

読み/みやのもといせき
所在/大佐野四丁目 太宰府西小学校敷地内
指定年月日/昭和56年3月5日指定

大宰府政庁より南西に離れた丘陵に位置する古代の官人墓地で、100基ほどの墓が確認されています。そのうち平安時代前期の1号墓から、国内で初めて買地券(死者が墓地を獲得したことを記した売買契約書)が出土しました。

横岳崇福寺跡

崇福寺画像

読み/よこだけそうふくじあと
所在/大字白川
指定年月日/昭和35年1月12日指定

日本の初期禅宗寺院のひとつで、元治元(1240) 年に湛慧によって創建されたと伝えられています。寺は天正14 (1586) 年の岩屋城の戦いで焼かれ、黒田氏によって慶長5 (1600) 年に今の福岡市博多区に再興され黒田家の菩提寺となっています。東側丘陵には大応国師の分骨塔である瑞雲塔があります。

市指定記念物

陣ノ尾1号墳

陣ノ尾1号墳画像

読み/じんのおいちごうふん
所在/国分二丁目100-1ほか
指定年月日/昭和58年7月1日指定

国分小学校の近くにある径12メートル前後の円墳で、南側に開口する複室の横穴式石室で、全長6.6メートルを測ります。6世紀末頃に築造されたもので、耳環(イヤリング)や鉄鏃などが副葬されていました。

内山辛野遺跡

内山辛野遺跡の庭園跡

読み/うちやまからしのいせき
所在/大字内山・北谷
指定年月日/平成16年1月30日指定

中世の庭園を含む遺跡で、ひな壇状の人為的造成面や石垣や土塁が残り、その中に数寄屋風の小規模な礎石建物と飛び石、組石からなる庭園遺構などが見つかっています。庭園については鎌倉時代から室町時代初期に属し、筑前守護武藤少弐氏との関わりが指摘されています。

般若寺跡

般若寺跡の塔の心礎

読み/はんにゃじあと
所在/朱雀二丁目13
指定年月日/平成22年9月9日指定

般若寺は、654年に筑紫大宰帥蘇我日向が孝徳天皇の病気平癒を祈って建立したものといわれています。その般若寺は現在の筑紫野市にある塔原廃寺と推測され、大宰府郭内が整備される過程で移転したものが、太宰府市にあるこの般若寺跡と考えられています。調査で一辺11.9メートルの基壇が確認されましたが、現在周辺は宅地化され、塔跡の一部と径73センチメートルの円形の穴が彫り込まれた塔の心礎が残されています。

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