観世音寺4丁目

万葉歌碑 大弐紀卿(正月立ち…)

【登録番号】F0027
【名称】万葉歌碑 大弐紀卿(正月立ち…)
【所在場所】観世音寺4丁目(都府楼跡史跡地内)
【文化遺産情報】平成17(2005)年10月建立の碑。奈良時代の官人・大宰大弐で梅花の宴にも列席した筑紫歌壇の一人、紀卿(きのきょう)の歌が伊予青石に刻まれている。歌「正月立ち春の来たらばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ」訳「正月になり春が来たので、このように梅を招いて、楽しい日を過ごそう。」

万葉歌碑 大弐紀卿(正月立ち…)の画像と位置図

大宰府正門礎石(朱雀門礎石)

【登録番号】F0063
【名称】大宰府正門礎石(朱雀門礎石)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】昭和57(1982)年、政庁正面付近の御笠川改修工事により発見された礎石。大きさは2.42メートル×1.82メートルで、上面に径66センチメートルの円形柱座を造り出す。重さが約4トンあるこの巨石は、その出土地から、大宰府政庁朱雀門の礎石であると考えられる。

大宰府正門礎石(朱雀門礎石)の画像と位置図

史蹟太宰府阯碑

【登録番号】F0064
【名称】史蹟太宰府阯碑
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】大宰府政庁跡の南側に建つ石碑。碑面には「史蹟名勝天然記念物保存法」「大正十年三月内務大臣指定」の刻銘が残されており、大正10年(1921)3月3日に政庁中心部が史跡指定を受けたのを記念して建立されたものと考えられる。

史蹟太宰府阯碑の画像と位置図

都府楼之址従是壱町碑

【登録番号】F0065
【名称】都府楼之址従是壱町碑
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】大宰府政庁跡南側の入口付近に立つ石碑。表面には「都府楼之址 従是壱町」と刻まれており、本来は道標の役割を果たしていたと考えられる。もともとの所在地や由来などは不明である。

都府楼之址従是壱町碑の画像と位置図

都府楼道路開通記念碑

【登録番号】F0066
【名称】都府楼道路開通記念碑
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】明治43年(1910)に、榎社から都府楼迄の新道が造られた事を記念した石碑。前面には多数の寄附者と金額が、後面には発起人の名が刻まれている。現在は大宰府政庁跡の南門礎石上に建てられている。

都府楼道路開通記念碑

万葉歌碑 大伴旅人(やすみしし…)

【登録番号】F0067
【名称】万葉歌碑 大伴旅人(やすみしし…)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】官人であり、優れた歌人でもあった大宰帥大伴旅人(おおとものたびと)が詠んだ歌を記した万葉歌碑。大宰少弐石川足人の問いかけに応えて詠んだ歌「やすみしし わご大君の食国は 倭も此処も同じとぞ思う」が刻まれている。昭和59(1984)年に福岡ロータリークラブの寄贈で建立されたもの。

万葉歌碑 大伴旅人(やすみしし…)の画像と位置図

万葉歌碑 小野老(あをによし…)

【登録番号】F0068
【名称】万葉歌碑 小野老(あをによし…)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】平成17(2005)年10月に建立されたもので、奈良時代の官人で梅花の宴にも列席した筑紫歌壇の1人であった小野老(おののおゆ)の歌が刻まれている。歌「あをによし 寧楽の京師は 咲く花の 薫ふがごとく 今さかりなり」訳「奈良の都は、咲く花が美しく薫るように、今がまっ盛りである」

万葉歌碑 小野老(あをによし…)の画像と位置図

史蹟大宰府阯境界碑

【登録番号】F0069
【名称】史蹟大宰府阯境界碑
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】大宰府展示館の前に所在する2本の石碑。かつて史蹟指定を受けた際の境界石である。

史蹟大宰府阯境界碑の画像と位置図

玉石垣支柱とトウカエデ

【登録番号】F0070
【名称】玉石垣支柱とトウカエデ
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】昔、大宰府政庁正殿跡周辺を玉石垣で囲っていた時の名残の一本が、トウカエデの幹に巻き込まれたような形になっている。

玉石垣支柱とトウカエデの画像と位置図

太宰府碑

【登録番号】F0071
【名称】太宰府碑
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】大宰府政庁正殿跡に建つ3基の碑のひとつ。大宰府の意義を後生に伝えようと、福岡藩西学問所甘棠館教授亀井南冥が寛政元年(1789)に建立しようとしたが、藩がその文面に意義をとなえ許可が下りず、南冥は甘棠館教授を罷免された。大正3年(1914)に門下生の尽力により建碑された。

太宰府碑画像と位置図

都督府古趾碑

【登録番号】F0072
【名称】都督府古趾
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】大宰府政庁正殿跡に建つ3基の碑の1つ。江戸時代、福岡藩では礎石数調査を行い、礎石を取ることを禁じるなど史跡保存を図るが、明治時代になっても標石などは建立されなかった。その為、乙金村大庄屋の高原善七郎が、明治4年(1871)に自費で建立したもの。

都督府古趾碑画像と位置図

太宰府址碑

【登録番号】F0073
【名称】太宰府址碑
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】大宰府政庁正殿跡に建つ3基の碑のひとつ。明治13年(1880)御笠郡の人々の要請で福岡県令渡辺清が文を撰し、日下部東作書、陸軍大将熾仁親王篆額により、大宰府の由来を彫りつけたもの。

太宰府址碑画像と位置図

帯塚碑

【登録番号】F0075
【名称】帯塚碑
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】花鳥山仏心寺は『ホトトギス』同人の河野静雲(こうのせいうん)が建てた寺で、高浜虚子を祀る虚子堂の奥にこの帯塚がある。高浜虚子がすり切れるまで愛用した博多帯を静雲に託し、この寺のそばに埋めてほしいと願ったことにより昭和29(1954)年に建立されたものである。

帯塚碑画像と位置図

史跡大宰府址境(界)碑

【登録番号】F0076
【名称】史跡大宰府址境(界)碑
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】大宰府址と私有地との境界を示す石碑。観世音寺地区には数多く所在している。

史跡大宰府址境碑画像と位置図

庚申塔

【登録番号】F0077
【名称】庚申塔
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】観世音寺4丁目で祀られている庚申塔。高さ114センチメートルほどの大きさで、江戸時代後期の文化5年(1808)2月に建立されたものである。庚申信仰は、中国の道教思想に由来し、60日ごとに回ってくる庚申の夜に宿主の家に集い、眠らずに夜を明かすもの。

庚申塔画像と位置図

旧小字標石 月山(つきやま)

【登録番号】F0079
【名称】旧小字標石 月山(つきやま)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】住居表示により古い地名が失われるため、平成5年(1993)8月に太宰府市が旧小字名を石標に刻して建立したもの。地名である「月山」は「つきやま」と呼称され、「築山」「辰山(ときやま)」とも書く。大宰府政庁に時を知らせる漏刻台(水時計)があった所であるといわれている。

旧小字標石 月山の画像と位置図

旧小字標石 住ヶ元(すみがもと)

【登録番号】F0080
【名称】旧小字標石 住ヶ元(すみがもと)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】地名が失われるため、平成5年(1993)8月に太宰府市が旧小字名を石標に刻して建立したもの。地名である「住ヶ元」の由来など詳細は不明である。

旧小字標石 住ヶ元の画像と位置図

庚申塔

【登録番号】F0081
【名称】庚申塔
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】観世音寺4丁目学業地区に所在する庚申様。高さ107センチメートル程の石碑には「庚申天」の文字と建立年月日が刻まれており、江戸時代である寛政4年(1792)2月に建立されたことが分かる。地域の方々に信仰されており、以前は田植の際に苗を2~3束御供えしていたという。

庚申塔画像と位置図

旧小字標石 学業(がくぎょう)

【登録番号】F0082
【名称】旧小字標石 学業(がくぎょう)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】住居表示により古い地名が失われるため、平成5年(1993)8月に太宰府市が旧小字名を石標に刻して建立したもの。地名である「学業」は「がっきゅう」「がくぎょう」とも呼称され、大宰府政庁の官人を育てるための学校院があったことに由来している。

旧小字標石 学業の画像と位置図

万葉歌碑 山上憶良(子等を思ふ歌)

【登録番号】F0083
【名称】万葉歌碑 山上憶良(子等を思ふ歌)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】観世音寺4丁目、学校院跡北側・観世音寺公民館前に所在する万葉歌碑。平成17(2005)年10月に建立されたもので、奈良時代の役人で社会派・生活派と呼ばれる有名な歌人であった山上憶良の歌が2首刻まれている。

万葉歌碑 山上憶良(子等を思ふ歌)画像と位置図

学業院址碑(学校院址)

【登録番号】F0086
【名称】学業院址碑(学校院址)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】律令制下で中央に大学、地方に国ごとに国学が置かれ、大宰府には府学校が置かれた。大宰府や管内諸国の官吏養成が目的。明経(みんぎょう)・医術・算術等を約200名の人々が学んでいた。明治末期と昭和47年(1972)に建立された2本の石碑が残っている。

学業院址碑画像と位置図

道路更正碑

【登録番号】F0096
【名称】道路更正碑
【所在場所】観世音寺4丁目(観世音寺公民館横)
【文化遺産情報】観世音寺4丁目、観世音寺公民館横に所在する道路更生碑。昭和30(1955)年に朝日地蔵から大宰府展示館東側までの道路を拡幅した際の記念碑である。

道路更正碑画像と位置図

公民館建築記念碑

【登録番号】F0097
【名称】公民館建築記念碑
【所在場所】観世音寺4丁目(観世音寺公民館横)
【文化遺産情報】観世音寺公民館建築を記念して建立された石碑。昭和31年(1956)5月に建立されたもので、以前は旗立石としても使用されていたという。

公民館建築記念碑画像と位置図

庚申天

【登録番号】F0099
【名称】庚申天
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】高さ126センチメートルほどの石碑には「庚申天」の文字や建立年月日が刻銘されており、江戸時代後期にあたる文化3年(1806)12月に建立されたことが分かる。道路拡張のため奥側へと移動しており、現在は個人宅玄関に位置している。また、田植えの時には手苗を2、3束上げていたという。

庚申天画像と位置図

旧小字標石 安養寺(あんようじ)

【登録番号】F0100
【名称】旧小字標石 安養寺(あんようじ)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】平成5年(1993)8月に太宰府市が旧小字名を石標に刻して建立したもの。地名である「安養寺」は、鎌倉時代に大宰少弐武藤資頼が開基したお寺(安養院・安養寺)があった場所と伝えられている。この安養院は、観世音寺49子院の一つとされており、武藤資頼・資能の墓所が存在している。

旧小字標石 安養寺の画像と位置図

観音堂

【登録番号】F0124
【名称】観音堂
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】観世音寺4丁目大裏にある観音堂。御本尊は『筑前国続風土記附録』にも記録がある石造聖観音坐像である。また、御堂内には板碑と梵字刻まれた切石も共に祀ってある。

観音堂画像と位置図

太宰府安養院跡五輪塔残欠

【登録番号】F0125
【名称】太宰府安養院跡五輪塔残欠
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】観世音寺の北側安養院跡に立っている石造りの五輪塔。この塔は一石の擬灰岩でつくられ、さらに水輪を球形にするものを、八方の隅をカットした形で造られ、高さは75.5センチメートル。鎌倉時代中頃の塔と考えられるもので、少弐資頼の墓に比定されている。同形のものが宇佐にある。

太宰府安養院跡五輪塔残欠の画像と位置図

時の記念日の行事

【登録番号】F0127
【名称】時の記念日の行事
【所在場所】観世音寺4丁目(政庁跡正殿前)
【文化遺産情報】水城小学校で行われていた、時の大切さを学ぶ行事。大宰府政庁跡東側の月山に、漏刻が置かれていたことに因んだもの。6月10日に時計を持たずに都府楼跡へ早朝6時ちょうどに、到着出来るかを競うもの。平成23年11月20日に太宰府市民遺産第6号に認定。

時の記念日の行事の画像と位置図

坂本のダブリュウ

【登録番号】F0128
【名称】坂本のダブリュウ
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】水神に田の水の豊潤を願い、あわせて牛馬安全の祈願を行う行事。4月末から5月初めにかけてのノシロ作りの前に行われ、坂本八幡宮の東側の水路に水神棚を設ける。水神棚は女竹を三本または四本立てて上部を括り、竹で編んだ棚を吊して上に注連を張ったものである。

坂本のダブリュウの画像と位置図

大宰府跡(大宰府政庁跡、都府楼跡)

【登録番号】F0133
【名称】大宰府跡(大宰府政庁跡、都府楼跡)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】古代律令制下にあって外交を掌り、西海道(九国三島)諸国を統括した「大宰府」の中心をなす遺跡である。国際情勢の転換に対処するため、外交国防の中枢として、「那津官家」から移建されたと推定される。現在は発掘調査成果をもとに環境整備され、往時の遺構が平面復原されている。

大宰府跡画像と位置図

坂本区のほんげんぎょう

【登録番号】F0141
【名称】坂本区のほんげんぎょう
【所在場所】観世音寺4丁目 坂本八幡宮前の梅林
【文化遺産情報】毎年正月7日の早朝に行われる火焚き行事。坂本区は政庁域北西端の広場に櫓を立てて行っている。櫓は、高さ3m程で真ん中に葉のついた孟宗竹が立てられている。前日の夕方には、各戸から正月飾りを持ち寄って櫓に取り付けている。区の行事として復興され30~40年が経過している。

坂本区のほんげんぎょう画像と位置図

観世音寺区のほんげんぎょう

【登録番号】F0142
【名称】観世音寺区のほんげんぎょう
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】正月7日の早朝に行われる火焚き行事。観世区では公民館前のちびっこ広場に櫓を立て、子供会のお母さん方がぜんざいの炊き出しを行っている。60年位前までは、上方往還安養寺月山など各組毎に行っていた。35年程前に区の呼びかけで復興され、現在も続けられている。

観世音寺区のほんげんぎょうの画像と位置図

導水トンネル(安の浦から安養寺地区)

【登録番号】F0144
【名称】導水トンネル(安の浦から安養寺地区)
【所在場所】観世音寺4丁目 安の浦池より安養寺へ
【文化遺産情報】安ノ浦池の水を有効利用するために建設された導水トンネル。安ノ浦池から取水して、安養寺地区へと流れる部分がトンネルとなっており、安養寺道の上方からは道の下を通っている。現在は山ノ井池からの用水と一緒に使用されている。

導水トンネル画像と位置図

導水トンネル(安の浦池から学業地区へ)

【登録番号】F0148
【名称】導水トンネル(安の浦池から学業地区へ)
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】安ノ浦池の水を有効利用するために建設された導水トンネル。安ノ浦池から、池尻の溝を下り、竹林の中を抜ける部分がトンネルとなっており、学業の民家付近で流路が2つに分かれている。現在は、竹林を通る部分がコンクリート製に改修されており、学業の流路は1方向だけが使用されている。

導水トンネル画像と位置図

少弐資能(しょうにすけよし)墓

【登録番号】F0150
【名称】少弐資能(しょうにすけよし)墓
【所在場所】観世音寺4丁目
【文化遺産情報】少弐資頼の子資能の墓とされる宝篋印塔。鎌倉時代、元寇時に活躍し、84歳で死去。崇福寺大応国師が導師となり、葬儀が行われた。その後行方不明であったが、明治末に横岳の水田から発見、関係者の配慮で五条の血方持様横に祀られ、昭和47年(1972)に現在地へ移動。

少弐資能墓の画像と位置図
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