朱雀3丁目
伝 鶴の墓の石
【登録番号】G0025
【所在場所】朱雀3丁目(西鉄電車踏切横)
【名称】伝 鶴の墓の石
【通称】―
【文化遺産情報】伝承に由来する石。昔、飛騨の匠が木で鶴を作った。よくできたのでその鶴に乗り唐まで行った。唐の人々は怪しんで矢を放ち、矢は鶴の片羽に当たった。匠は片羽の鶴を操って太宰府まで飛んで来たが力尽きて榎寺の近くに落ちた。匠は鶴を愛おしんでそこに手厚く埋葬し、故郷に帰ったという。他に、匠は博多の大工の名人の事で、木で鶴を作り、不時着した所は、通古賀の「鶴の屋敷」、現在の小字鶴畑あたりだ、という話も伝承にある。
隈麿公奧都城・六弁の梅
【登録番号】G0027
【所在場所】朱雀3丁目(榎納骨堂敷地内)
【名称】六弁の梅(隈麿公奧都城)
【通称】―
【文化遺産情報】菅原道真の息子隈麿の墓。菅原道真の左遷が決まった時、成人した4人の子どもも各地に流されたが、隈麿と紅姫の幼子だけは許されて、ともにこの太宰府に来たと言われている。つらい生活の中、翌年病のため急逝した。菅公の落胆は漢詩「菅家後草」の「秋夜」にもあらわれている。昭和60年(1985)、菊武賢太郎氏が現在の祠を奉納された。六弁の梅は、隈麿公墓傍に植えられている。昔はかなり大木だったらしく戦前には一斗五升の実が採れ、区が入札を行い収入にしていたほどであった。六弁の花も数多く付けていたらしい。しかし、戦後樹勢が衰え昭和30年代には枯れてしまった。今の梅は、隈麿の墓のお世話をされてる方が先代の六弁の梅の種から育てた若木を植え直したもの。六弁の梅をつける確立は1割程度と言われている。