姉妹都市の紹介

忠清南道扶餘郡(大韓民国)

姉妹都市締結年月日

平成24年4月8日


姉妹都市締結の経緯

太宰府と扶餘とのつながりは古く、663年日本・百済連合軍が唐・新羅連合軍との白村江の戦いで大敗した後、北部九州防衛のために水城堤防・大野城など3城の山城を築造の際、これらの工事を指導したのが扶餘(当時の百済国の都)からきた技師たちであったといわれています。特に大野城など太宰府をめぐる山城は扶餘に残る山城とそっくりで、太宰府と扶 餘との間に深いつながりがあった歴史的な証拠ともいわれています。 

太宰府と扶餘の姉妹都市提携のきっかけは、昭和46年ごろからの太宰府天満宮の文化研究所と扶餘文化院との研究交流に始まります。その後、昭和52年に太宰府天満宮の菅公1075年大祭の一環として、交流使節団を結成して扶餘を訪問した際、同行した当時の町長が姉妹都市締結の申し出を行い、翌年の昭和53年4月21日、太宰府町と扶餘邑は姉妹都市盟約宣言および協定を締結しました。

1300余年前の歴史が取り持つ縁で結ばれ、姉妹都市となった太宰府と 扶餘は、人、文化、教育など、多岐にわたる官民さまざまな交流 を行い、友好の絆を深めてきました。
それから34年、それまで友好関係をさらに発展させ、交流を拡大しながら次世代につなげるために、 扶餘邑との姉妹都市関係を上級行政区域である扶餘郡へと「承継」することとなり、 平成24年4月8日、姉妹都市承継協定を締結しました。

扶餘郡へと姉妹都市関係を承継した後は、これまでの小中学校や太宰府少年の船と百済青少年の星との相互訪問交流のほかに、文化交流公演、古代山城の活用に関する意見交換などの交流が行われています。

定林寺